北温泉旅館について
歴史
History
現代まで伝わる、
北温泉旅館170年の歴史。
江戸安政に創業以来、明治・大正・昭和・平成・令和と6つの時代の中で多くの人を癒してきました。
江戸(1603年〜1868年)
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▲木版で刷った江戸時代のパンフレット「野州那須郡岐多温泉記」
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▲現代語訳
この時代は黒羽藩大関家が北湯を治めており、源泉の岐路が多いことから「岐多温泉」と表記されていました。その後漢字が統合されていく過程で現在の「北温泉」になりました。最も古い宿泊棟「松の間」、鬼子母神や温泉神社もこの頃に出来たとされています。
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明治(1868年〜1912年)
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▲明治31年 (1898年)発行 喜多温泉の全貌
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▲明治時代初期発行 温泉成分表
「竹の間」が作られたこの頃、熊谷源三が初代湯守となりました。この時代には鉄道や黒磯~那須湯本の県道が開通したこともあり、那須温泉をPRした観光用のパンフレットなども多く作られ、北温泉も紹介されています。
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大正・昭和(1912年〜1926年・1926年〜1989年)
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※那須歴史探訪館 所蔵
写真・印刷技術の発展もあり、観光地を紹介するポストカードが流行していました。北温泉の姿も多く残されており、当時の様子を伺うことができます。 また昭和13年(1938年)には台風による大雨の影響で裏山が崩れ、建物が流される災害も発生しました。現在は裏手に作られた砂防ダムが北温泉を守っています。
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平成・令和(1989年〜2019年・2019年〜)
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映画のロケ地やTV番組で取り上げていただくことも増え、国内だけではなく海外からのお客様にも多くお越しいただくようになりました。 これまで受け継いできた北温泉の文化的価値と歴史を守り、未来に繋いでまいります。
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アーカイブ
※那須歴史探訪館 所蔵
松川屋 那須温泉案内 昭和3年5月発行
那須温泉名所図絵 表 大正11年6月5日1922年
那須温泉名所図絵 裏 大正11年6月5日1922年
那須温泉振興会 昭和10年8月
那須温泉旅館組合発行 那須のスキー
那須温泉旅館組合
小松屋旅館 那須温泉御案内 発行日不明
小松屋旅館 大正13年5月25日発行
松川屋 那須温泉案内 昭和3年5月発行
那須温泉名所図絵 表 大正11年6月5日1922年
那須温泉名所図絵 裏 大正11年6月5日1922年
那須温泉振興会 昭和10年8月
那須温泉旅館組合発行 那須のスキー
那須温泉旅館組合
小松屋旅館 那須温泉御案内 発行日不明
小松屋旅館 大正13年5月25日発行
野州那須郡北温泉全景
下野國那須郡那須町北温泉附近駒ヶ瀧
下野國那須郡北温泉
下野國那須郡那須町北温泉附近木隠ノ瀧
栃木県那須郡北温泉・霊泉満々の大プール
栃木県那須郡北温泉湯瀧亜-湧出口ノ湯煙
栃木県那須郡北温泉全景プール及滑り台
栃木県那須郡北温泉全景
野州那須郡北温泉全景
下野國那須郡那須町北温泉附近駒ヶ瀧
下野國那須郡北温泉
下野國那須郡那須町北温泉附近木隠ノ瀧
栃木県那須郡北温泉・霊泉満々の大プール
栃木県那須郡北温泉湯瀧亜-湧出口ノ湯煙
栃木県那須郡北温泉全景プール及滑り台
栃木県那須郡北温泉全景
伝説
Folklore
北温泉に残る神々と妖の話
長い歴史の中で言い伝えられてきた伝説の一部をご紹介します。
天狗の投げ石
平安の頃、日光山・那須山・羽黒山は修験道の修業の場とされていました。
修験道とは山岳信仰を元にした日本独自の宗教で、山にこもり厳しい修行を行っていました。天狗というのはその修行者のことだと考えられており、彼らは気位の高い戦闘集団とされて恐れられていたそうです。
ある時、天狗が日光山から羽黒山に向かう途中、大石に腰をかけて休んでいました。
ふと見ると傍らからお湯がちょろちょろと出ています。天狗はこれはと思い畳6帖ほどの大石を投げ飛ばしたところ、お湯がこんこんと湧き出てきたと云われています。その大石は天狗湯からかなり離れた泳ぎ湯の傍ら、庭園内に有りますのでぜひご覧ください。
温泉神社
天狗の湯の噴出口前にあることから「湯前様(ゆぜんさま)」と呼ばれ古来より親しまれてきました。
かつては霊山(神々を祀った神聖な山)として知られていた那須岳ですが、北の湯は「岐多の湯川(きたのゆぜん)」と称され、神仏の集まる源と考えられていました。
現在の湯前様は、1750年(寛政3年)に黒羽藩により建立されたものです。八幡大菩薩様・大穴牟遅命様=大国主命(医師の神)様・少名毘古那命=少名彦命(薬師の神)様が祀られています。参道入口にある石仏は五仏様の内の三体 大日如来様・阿しゅく如来様・宝生如来様で、明治時代の廃仏令により打ち壊され、この三体のみ首無しの状態で残りました。 見学をご希望の場合は、フロントまでお声がけください。