平安の頃、日光山、那須山、羽黒山が修験者の道場でした。
 天狗もよくこれらの山で修行をしておりました。
 ある時天狗が日光山から羽黒山に向かう途中大石に
 腰をかけて休んでおりました。
 ふと見ると傍らからお湯がちょろちょろと出ています。
 天狗はこれはと思い大石を投げ飛ばしたところ、
 はたしてお湯がこんこんとわき出てきました。
 天狗はそれからここを湯治場として使うようになりました。


 そこが今の天狗湯です。
 その大石は天狗の投げ石として現存しています
 天狗湯
からかなり離れた泳ぎ湯の傍ら、庭園内に有りますのでご覧になって下さい。


人と比べるとその大きさが分かります

これを天狗湯から投げ飛ばすとは

どれほどの力か、さすが天狗です

天狗とは山岳信仰に基づいた修験者のことであろうと考えられます。

彼らはどこにも属さない気位の高い戦闘集団であったらしく、

徳川時代初期、那須の天狗6万騎といわれ大変な驚異でありました。

これを危惧した徳川家康は日光・那須天狗の流れを断ち切るため

それぞれのグループリーダーを流罪として一掃、

さらに日光に東照宮を建て、周りの修験場その他を取り払いました。

こうして、黒羽藩が治めた頃には天狗とそれに関係するもの

すべてが消え去ってしまいました。